老いるということ

父が脳梗塞で倒れ、母は痴呆の症状が見られ、最近は人が老いるということと、介護という現実がのしかかってきた。今までそれはよそ事のようで自分にはあまり縁のないことだと思っていたが、現実となった。気丈で勝気だった母がいつのまにか認知症を発症し、自分は元気だと豪語していた父が病に倒れ、命に別状はないものの、リハビリをする状況となっている。人間誰しも年を取るものだと頭でわかっていても、なかなか実感がわかなかったが、両親が年老いていくように私も確実に年を重ねてきているのだと思う。ただどのように年を重ねていくかはその人の毎日の心がけと習慣なのだと思う。勝気で負けず嫌いだった母は物忘れが激しくなり、しかしまだ若かった頃より人への感謝の気持ちは強くなり、実家へ通ったり、母を病院へと連れて行く私によく感謝の言葉を言う。若い頃の母に比べるとだいぶ素直になってきたし、家事をして実家から車で帰る私を母は家の門からよく見送ってくれる。後で後悔することのないよう私もできるだけのことはしたいと思う。
 思えば祖母を91才で見送った時の母は立派で尊敬に値すると思う。普段の母の行いはけして自慢できるものではなかったが、実の母でもない祖母をそれはそれは大事にし、よく口では祖母への愚痴をこぼしていたが、実は献身的につかえていた。祖母が一言何か母に発すると、まるで部下か何かのように服従し、祖母の願いを忠実にかなえていた。全く母の献身振りには頭が下がる思いだったのは私だけではなかった。でも今はそんな母に誰かの介護が必要になった。母の祖母への献身振りに比べると私の手助けなど微々たるものだと思うが、祖母を支えた母の背中がああも小さくなったのをみると老いについて考えさせられる。願わくば幸せな余生を過ごさせたいものだと思う。今まで苦労した分まで。

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